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浜島裕英氏がブリヂストンを退社しフェラーリへ。東京オートサロンでのトークショーでファンに挨拶

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最終日を迎えた東京オートサロンのブリヂストンブースでは、長年ブリヂストンのモータースポーツタイヤ開発に携わり、1997年から2010年までF1のタイヤ供給・開発も行ってきた浜島裕英氏がトークショーに登場した。

すでに多くのメディアがニュースで取り上げているが、彼はブリヂストンを退社し、F1時代でもパートナーとして組んできたフェラーリチームに移籍し、チームのタイヤディレクターを任される事が決定している。

午後3時から行われた最後のトークショーでは、MCのピストン西沢氏とモータースポーツタイヤを開発し続けてきた30年を振り返った。

ブリヂストンがF1に進出する前の1980年代は、主にF2(現在でいうGP2やフォーミュラニッポン)、F3、ツーリングカークラスのタイヤ開発・供給に携わり、国内外での苦労話を披露。
モータースポーツでは、特にタイヤなど技術的な分野では専門用語が多く、なかなかレースに興味がない人にとっては入り込みづらい環境となってしまっているのだが、浜島氏は誰が聞いてもイメージできるように優しく噛み砕いた言葉で分かりやすい表現で、当時のタイヤ開発について振り返っていた。

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ブリヂストンは1997年からF1に参戦することになったが、最初はタイヤテストに協力してくれるチームを探すものの、どのチームも相手にしてくれず苦労したり、1年目での成績を認めてくれてマクラーレンから声をかけられた時の事などの話も披露してくれた。

「マクラーレンから声をかけてくれた時は嬉しかったですね。当時マクラーレンにはエイドリアン・ニューエイ(現レッドブルチーム・テクニカルディレクター)がいて、彼とも翌年のタイヤの構造について、とことんディスカッションしました。そういう意味では思いで深いチームでした。」

また浜島氏といえば、過去7度チャンピオンを獲得したミハエル・シューマッハをタイヤという面で支えていた事でも有名。実際に彼らがF1でコンビを組んだのは2000年代の話だが、初めて会ったのは87年のスポーツランドSUGO(宮城県)だったという。

「全日本のレースで彼が来日していた時のことでした。ちょうど仙台に近いので、美味しい牛タンの店を予約して“よし!食べに行こう!”と、夕方にガレージを閉めようとしたらシューマッハが来て、そこから予選用タイヤについて根掘り葉掘り聞かれ、結局2時間半ほど付き合わされました。」

この日は、合計3回のトークショーがブース内のステージで行われ、どの回もたくさんのファンが駆けつけ、浜島氏のブリヂストンでの最後の仕事を見守った。

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トークショーの最後にはブリヂストンを代表して内田宣伝部長が花束を贈呈。ファンの前で「ブリヂストンの浜島」として最後の挨拶を行った。

「皆さん、ブリヂストンを応援してくれて本当にありがとうございました。これからもブリヂストンは、いいタイヤをどんどん出していくと思いますから、是非応援してください。それから私事になりますが、ちょっとイタリアの赤いチーム(フェラーリ)と仕事をすることになりました。ブリヂストンを応援した余力でいいですから、是非赤いチームも応援してください。本当に長い間、どうもありがとうございました!」

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こう締めくくり、ファンへの感謝の気持ちを込めて、深く一礼した浜島氏。
会場からは大きな拍手が沸き起こり、今度はフェラーリチームの一員として、再びF1にチャレンジする浜島氏を見送った。

『記事:吉田 知弘』